Mar 25, 2011
リフォーム時の壁紙の選択について
リフォーム時の画面を交換することは多く行われていますが、特に注意したいのは、天井や壁などの画面を他のものと時です。リフォーム時の様々な画面を見ているうちに、様々な画面で見たい気になるのはわかるのですが、日本の建築にヨーロッパで多く使用されているかのような植物の形やインドのようなペイズリー柄のようなことは、似合っていません。もし、変更したいというのなら、個人的なスペース、つまり、トイレや個室などの壁一面だけ変わったの土台ということを試してみるのもいいと思います。ちなみにトイレフィンの一面だけ柄が、トイレなどには、素敵になる場合もあります。私は引越しを予定していますが、どうかして資金がたまらない。 3階に住んでいるのに下の人たちがうるさくて仕方がないからだ。夜中の仕事をしているようだが、何をしているとか。最近引っ越して来たばかりだが、常にこの2階の客室には、離婚や不和が徐々に出ている。この夫婦も同様の運命を追跡するのだ。引越しする前に、向こうが引越しまで待つか、。
華やかな王朝装束の行列に約8万人の観衆が酔いしれた葵祭。平安京造営以前に、天候不順や凶作が鎮まるよう上賀茂、下鴨の両神社(京都市)に祈ったのが起源。京都御所を出発した長さ約1キロの行列に約500人が参加し、最高気温が26・2度まで上る中、参列者は額に汗を浮かべながら、新緑に彩られた京都御所や糺(ただす)の森(左京区)、賀茂川河畔など約8キロを練り歩いた。両神社では、馬を献上する牽(ひ)き馬の儀や東游(あずまあそび)と呼ばれる舞の奉納などがあり、多くの参拝者が見守った。【田辺佑介、花澤茂人】
◇第56代斎王代・金井志帆さん、大役にも笑顔
第56代の斎王代を務めた同志社大4年、金井志帆さん(23)は午前5時に起床。第23代を務めた母秀美さん(53)から「初心を忘れず、気を引き締めて」と声を掛けられた。十二ひとえに身を包み、「緊張していますが、お祭りを楽しみたい」と笑顔。家族の手作りの座布団を敷いた腰輿(およよ)に乗り、凛(りん)とした姿で大役を果たした。
◇緊張の面持ち、童女で初参加−−最年少・塩見さん
参加者で最年少は塩見真桜さん(7)=京都市左京区、ノートルダム学院小1年=写真。知人の推薦で、斎王代のそばに仕える童女(わらわめ)を務めた。化粧をし、装束姿の自分に「鏡を見てびっくりした」といい、出発前は「しっかり歩けるかな」と緊張した面持ち。行列に参加するのは家族で初めてで、母麻佑子さん(32)は「我が子が、このようなご縁を頂いて、本当にうれしい」と顔をほころばせていた。
◇親子3代で八瀬童子 三好会長一家、孫の太誠君初参加
左京区八瀬地域の男性たちは、後醍醐天皇の時代から「八瀬童子(やせどうじ)」として朝廷に奉仕してきた。10年には関連の古文書や装束類が重要文化財に指定。葵祭では、行列を守る列奉行や列方を務める習わしだ。行列最高齢で、副列奉行を務めた八瀬童子会の三好義雄会長(82)一家からは、長男義章さん(50)に加え、孫の太誠(たいせい)君(11)が初めて正式参加。「頑張って最後まで歩く」と話す孫に、三好会長は「家族と一緒に地域の伝統を守っていきたい」と目を細めた。
5月16日朝刊
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「ピー、ピー、ピー」
91年5月14日午前11時ごろ。腰に付けたポケットベルが鳴り、社へ電話を入れました。当時は大阪本社社会部員。高槻市内のスーパーであった窃盗事件を夕刊用に出稿するため取材中でした。「滋賀県の信楽町で列車事故、死傷者多数。すぐ現場に向かって」。タクシーに飛び乗りましたが、ラジオのニュースは死者数が刻一刻と増えていくのを伝えています。「大変な事故」。緊張したのを覚えています。
現場に着くと、列車が列車に乗り上げるような形で脱線。見たこともない光景です。縄張りを張った中で多くの捜査員が声を上げながら動き回っています。5年前まで大津支局で滋賀県警を担当していましたが、当時、取材した幹部の姿も見えます。周囲を見回すと、先輩記者と目が合いました。夕刊の締め切り時間はもう過ぎています。「1度集まって明日の朝刊に向け体制を立て直そう」。近所の民家を前線本部に、デスクの指示で現地入りした多くの記者の分担が決まり、それぞれの場所に散りました。私は消防本部に入り、深夜まで死傷者の名簿をチェックして連絡する役目でした。
朝刊の締め切り後は前線本部で打ち合わせ。仮眠を取り、「町おこしの夢ピンチ“足”も“祭り”も痛手」という記事を何人かで取材し、地域の「足」、振興の「テコ」だった鉄道の廃止も考えられる関係者の苦悩を夕刊社会面に書きました。
この後、応援記者は担当部署に戻る人、残って応援を続ける人に分かれ、私は大阪に戻りました。取材は2日間だけ。ですが強烈な記憶が残りました。
あれから20年。14日、事故現場の慰霊碑前で行われた犠牲者追悼法要に参加し、手を合わせてきました。
やや強めの日差しの中、新緑が陽光にきらめいていました。追悼法要の模様は記事でお知らせしているので省きますが、僧侶の読経の中で1人1人の犠牲者の名が読み上げられ、それがなかなか終わらない。のどかな風景の中で、42人という多くの命が奪われたということを、その「長さ」に改めて感じました。
JR西の佐々木隆之社長はあいさつの冒頭と終わりに「ご冥福」と「深くおわび」を繰り返し、「多くの尊いお命を奪ったこの事故を教訓」とするはずが、「その後も大きな事故を発生させたことを重ねておわびします」と謝罪しました。
しかし、遺族代表あいさつでは、妻を亡くした吉崎俊三さん(77)=兵庫県宝塚市=が「03年に初めてJR西が公式に謝罪したが、05年に福知山線脱線事故。われわれの奮闘が報われなかったのが残念でなりません」としたのをはじめ、この後に開かれた遺族主催の法要でも、福知山線脱線事故の遺族から「91年当時も今もJRの体質は変わっていない」という厳しい言葉が聞かれました。教訓が生かされなかった。その事実の重さが会場を覆っていました。
この後、別の場所でJR西と信楽高原鉄道(SKR)、滋賀県、甲賀市の4者は安全最優先の誓いを記した「共同メッセ−ジ」を出しました。言うは易く行うは難し。教訓が生かされるか否かは、どう具体化していくかにかかっているでしょう。
事故現場には、「安全の碑」「慰霊碑」などに加え、今回、慰霊碑横に「安全の鐘」が設置されました。「事故を風化させない」との遺族の思いからです。
既に亡くなられた遺族もいます。SKRは事故後、毎月14日を「安全の日」として、社員教育に取り組んでいるとしていますが、JR西を含め、社長もいずれ変わり、社員の入れ替わりもあるでしょう。その中でどうやって公共交通機関としての安全意識を徹底し維持していくのか。難しい問いは残ったままです。【大津支局長・蓮見新也】
5月16日朝刊
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