Dec 13, 2008
就職塾のお世話になっていました
懐かしいですね。私も就職塾にお世話にしました。若い頃、と自分に変な自信を持ってたりして。しかし、実際に就職してみると、まったく問題でしょう。そこで就職塾に頼るのですが、とにかくスタートだけ。自分が正しいと思っていたことが、どんなに間違っていることを知りました。しかし、そのおかげで一流企業に就職することができた。体の姿勢と自分でもわからなかった何気ない癖や行動は、初めて会った人には強烈な印象として残ってしまう場合があります。就職塾では、このような細かい面も、親切に指摘してくれており、身だしなみに、好感を与える服の着こなし方も指導されることができますから、就職活動が全く初めての人は、就職塾は、信頼できる教育機関でもあります。
東遊園地(神戸市中央区加納町6)で1月17日、神戸市民と神戸市の連携により「阪神淡路大震災1.17のつどい」が開催された。(神戸経済新聞)
【画像】 竹灯籠に火をともす参加者ら
17日で阪神・淡路大震災から16年を迎えるにあたり、犠牲者への慰霊と鎮魂、震災から生まれた「きずな・支えあうこころ」を次世代に語り継いでいくために開催された同集会。東遊園地グランドで竹灯籠(どうろう)を「1995 1.17」の形に並べ、当日5時ごろから参加者によって中のろうそくに点灯。各地から集まった竹灯籠には「ボランティアありがとう」「祈り」「平和」などさまざまなメッセージが書き込まれた。
震災が起こった5時46分には参加者全員による黙とうが捧げられ、「慰霊と復興のモニュメント」周辺の献花所で遺族や市長らが追悼のあいさつと献花を行った。震災で弟を亡くしたという森祐理さんが「しあわせ運べるように」を歌った場面ではギャラリーからも合わせて口ずさむ歌声も聞かれ、献花に訪れていた神戸市在住の村井幸生さんは「震災で亡くなった妹のことを思い出すので、この歌を聞くと胸が痛い。いつかは笑って歌えるようになるだろうか」と話していた。
震災で母を亡くしたという遺族代表の小河昌江さんは「住んでいたアパートが倒壊し、母はなかなか見つからなかった。やっと見つかった母に『お母さん』と呼びかけても母は応えなかったが、手はまだ温かい気がして母に迫る死の気配をどこかへ押しやろうとしていた」と声を詰まらせながら当時を振り返った。「余震の合間に母を探し続けてくれた方への感謝の気持ちが薄れることはなく、日に日に大きくなっている」とも。
献花に訪れた神戸市の矢田立郎市長は「多くの尊い命や住み慣れた街並み、私たちの大切なものを奪い去った震災から今日で16年。市民の約4割は震災を知らない。人と人との絆や支え合う心を学んだ震災を風化させないために、生きている者の責任として命を守る耐震化を進めていきたい」と話す。
1998年1月17日に追悼やこれからの復興に祈りを込めて竹灯籠が始まり、2000年には東遊園地の一角に「慰霊と復興のモニュメント」が完成。2005年には世代や場所を超え多くの人々に「やさしさ・支え合う心」を伝えるため各地の災害で被災した人々への募金活動やメッセージ集めも会場で行われた。
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神戸市兵庫区の納(おさめ)翼君(15)は2日後に16歳の誕生日を控えた17日、いつもと変わらぬ朝を迎えた。「あのとき」に生まれ、阪神大震災の被災地に希望をもたらした翼君も高校1年生。多くの人の手で守られ、育まれた16年を経て「世界の被災者のために力になりたい」−との目標を抱く。
[フォト]犠牲者の冥福を祈り黙とうするオリックスの選手ら
震災で自宅が全壊した母の佳代さん(45)。無理がたたり、予定日より10日も早い1月19日朝に破水、パルモア病院(同市中央区)に運ばれた。建物にひびが入り、水道やガスなども止まった病院で、翼君は生を受けた。
出産に立ち会った同病院の三宅潤(めぐみ)理事長(73)は「極限状況で生まれた命に、人間の力強さを感じた。お母さんも本当によくがんばった」と振り返る。被災地で生まれた命は、被災者に希望をもたらした。
それから16年。翼君は部活動のアメリカンフットボールに、勉強に、高校生活を元気に送る。しかしふとしたとき、「もういやや、死んでしまいたい」とつい口にすることもある。そんなとき、佳代さんはやさしく「大勢の人が亡くなった震災のときに生まれてきたのだから、頑張ろう」と諭してきた。
昨年末、街を歩いていたら、見知らぬ女性から「震災のときあんなに小さかったのに、こんなに大きくなって」と声をかけられた。生まれたときから、地域の人たちに見守られていたのだと感じた。
「お父さん、お母さんもあの状況下で、僕を育てるために働き続けてくれた」
震災の記憶はないが、「生まれるときに多くの人に助けてもらったのだから今度は人の役に立ちたい」と思うようになった翼君。将来は、得意の英語をもっと勉強して「海外の被災地を支援する活動にかかわりたい」と話す。
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