Sep 26, 2009
マンション事業は、不動産業者に任せるのが安全
マンション事業を始めたのはいいが使用料徴収の難しさがなくて困っている人がいたです。なぜ不動産業者の要求ではないかと思います。自分でアパートを借りた時も注意のことですが、大家さんが直接お部屋の料金をしにしていた時代がありました。今は時代も変わりました。不動産業者にお願いして、マンションの管理を上手にして行ったほうがいいと思います。不動産投資を開始し、また、数年が経つが、最近では中古ワンルームマンションなどに投資するよりも、不動産投資信託を購入している。不動産投資信託は、管理をする必要がないので非常に楽だ。分配金が増減することはあってもまだゼロになったことはない。つまり、空室リスクの減少が、分散投資により、図られていることになる。
【新・関西笑談】京都医療センター名誉院長 北野病院長・藤井信吾さん
−−今の若い医師をどう思いますか
藤井 私たちのころは大学病院の医局に入って育っていく徒弟制度がありました。厳しい規律の中でトレーニングを積めたわけです。今は研修医制度によって、若いドクターは大学の医局を敬遠し、自由に働く場所も選んでいます。根無し草になってしまっているような気がします。
−−よくないですか
藤井 そうですね。昔は、怖い教授がいて若いドクターは厳しく指導され、ある程度ブレーキをかけられていました。医師は思うままに生きるのではなく、数多くの先輩医師をみて学びながら育っていくのが本来の姿で、それが総合的に物を考える視野を磨く一歩だと思います。国の方針はとめられないので、できる範囲で独自の教育を展開したいと思っています。
−−昨年、国際婦人科がん学会(IGCS)のプレジデント(理事長)に就任以降、医療従事者の教育に力を入れられています
藤井 学会では、世界の若い人たちに集まってもらって同じ教育を受ける機会を増やしたいと考えています。目標は、手術などの医療技術が分かりやすく紹介されたDVDの作成です。発展途上国など手術技術教育が必要な国はたくさんあります。訪れられない場所にも、医療技術を効率よく伝えられる方法だと思っています。
−−海外の医師と日本の医師を比べると
藤井 海外の医師は学ぼうとする意欲が強いですね。昔の日本人もハングリー精神に満ちあふれていたでしょう。今後、日本の医療従事者が海外でもっと活躍してくれることを強く希望します。
−−現在は、北野病院(大阪市北区)の病院長も務められています
藤井 北野病院も最近赤字から脱却できた段階なので、幅広く多くの患者を受け入れる姿勢は、以前と同じようにやっていきたいです。絵を飾るのも徐々に始めていこうかと。震災が起きたときの対処方法も考えています。緊急事態に患者と同様、医療従事者が病院にたどり着ける交通ルートの確保、レントゲンなどの機械の守り方…など課題は多いですね。
−−日本の医療全体について、何が問題と思われますか
藤井 医療従事者の不足ですね。京都医療センターはその問題点から抜け出せましたが、医療従事者が足りないことで業務が多忙になり、職員が心の病気になる病院もあります。このままでは人が少ないことを言い訳に日本の医療が低下する可能性もある。その負の連鎖を止めるために、医療には「最高なことを求める夢」を抱かなければならないと思っています。
−−高度な夢ですね
藤井 医療にとって夢とは、最高のレベルまで、医師が客観的な目線で自らを磨き続けるということです。そこには、言い訳は存在しません。医師は神様でもないのに、神のようなことをするのを許されています。医療現場に立ち会うとき、どれだけ物事を解決していけるかが勝負です。その勝負に真摯(しんし)に取り組むのが医師の仕事だと思っています。(聞き手 板東和正)
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■思い出の笑顔、DVDに/きょうだいの成長に喜び
死者11人、負傷者247人を出した兵庫県明石市の歩道橋事故から、21日で10年。現在、業務上過失致死傷罪で強制起訴された明石署元副署長の裁判の手続きが進むが、新たな気持ちで節目を迎える遺族たちがいる。亡き息子の映像の整理を始めた男性。失った子供のきょうだいの成長に目を細める夫婦や父。それぞれに時の重みをかみしめながら、それでも前向きに“あの日”と対峙(たいじ)している。
◆封印の時越えて
当時3歳の長男を亡くした兵庫県明石市の男性(50)は今月、生前の姿を撮影したホームビデオの整理を始めた。庭で遊んでいる姿や大好きな電車を眺めている喜びの表情などが詰まったアナログ映像をDVDに保存し直す作業だ。
これまでは、事故の記憶を呼び起こすため「まともに見ることができなかった」と封印してきた。あの日、家族で花火大会を楽しんでいた男性は、歩道橋で多くの人が折り重なって倒れる惨事に長男を見失った。搬送先の病院で対面したときには亡くなる間際だった。
なぜ、長男は死ななければいけなかったのか−。事故後、長男を搬送した救急隊員や警備担当の警察官を訪ね、長男の最後の情報を聞いてまわった。そして関係者の話を聞くなかで長男の死と向き合えるようになった。10年の節目を機に長男が生きた時間をきちんと記録に残すと決意した。
事故後に誕生した次男(8)と長女(6)に生前の長男の姿を見せ、男性は「どんなお兄ちゃんだったか、どうして亡くなったのか。正確な事実を伝えたい」と語った。
◆「責め続けた」
長女の千晴(ちはる)さん=当時(9)=と長男の大(だい)君=同(7)=を亡くした明石市の飲食店経営、有馬正春さん(52)と妻の友起子さん(41)は事故後に生まれたきょうだいの成長に目を細める。
きょうだいの名は、千穂(ちほ)さん(7)と公大(こうだい)君(4)。亡くなった姉と兄の名前から1字ずつもらった。友起子さんは「下の2人は、亡くなった2人に比べ少し甘えん坊とちょっぴりわがまま。性格がそれぞれ違って4人きょうだいと感じる」と話す。
夫婦は事故後、「(亡くなった)2人のことを思い出すのがつらい」と住み慣れた自宅から引っ越した。10年間、「守ってやれなかった」と自分たちを責め続け、悲しみやつらさを忘れたことはない。まだ事故のことはきょうだいに詳しくは話していないが、いつか姉と兄のことを伝えたいと思っている。
◆風化に危機感
小学3年だった次女の優衣菜(ゆいな)さん=当時(8)=を失った兵庫県姫路市の会社員、三木清さん(42)は「助けられなかった悔しさ、失った悲しみは消えない」と打ち明ける。お菓子好きで、元気いっぱいだった娘の思い出が詰まったアルバムを眺めると涙があふれる。
10年間、三木さんの心の支えになったのは優衣菜さんの姉の存在だ。服飾系の専門学校に通う姉は8月で20歳で、来年成人式を迎える。今年2月に成人式で着る振り袖を買いに出かけ、「優衣菜にも振り袖を着せてあげたかった」と無念の思いに駆られたが、姉の成長に親としての喜びを実感もした。
再発防止を訴え続けてきた10年だったが、「事故の記憶が風化されていく」と危機感を募らせる。だからこそ「優衣菜の死は無駄にしない。事故を繰り返させない、遺族が声を上げ続ける。一生この課題を背負っていく」
事故から10年の21日、三木さんは改めて事故現場の歩道橋で誓いを新たにするつもりだ。
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